VW ビートル 1945年-

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半世紀以上も生産され続けたビートル
いまではフォルクスワーゲン・ザ・ビートル

 【WorldPress】のロゴマークを眺めてて、フォルクスヴァーゲンを思い出すのは私だけだろうか? ↓写真のVW本社の看板を見ると、水色のWはやはりフォルクスヴァーゲンだろう、と。

 サーフィンが流行した時代、あのカブトムシにサーフィンを積んだイラストをよく目にした。それに憧れて、サーフィンをしないのにサーフボードを買った先輩がいた。そして須磨の海にボードを積んでワーゲンビートルで走っていくのだ。もちろんパステルブルーのBobby’s のトレーナーを着て。関東ではボートハウスだが。決してサーフィンはしない、というより瀬戸内は波が無いので出来ない(^○^)

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カブト虫・フォルクスヴァーゲンタイプ1
を生んだのはポルシェ

 カブト虫と名づけられたフォルクスヴァーゲン ビートル、大衆車のシンボル的存在である。ポルシェ博士のコンセプトのもと、1954年第二次世界対戦後の廃墟と化した北ドイツ・ヴォルフスブルクの工場からビートルは誕生した。この元となったのはドイツ軍の小型高性能ジープであるキューベルワーベン↓写真、水陸両用のシュビムワーゲンと言われている。ちなみにドイツ本国では「wagen」をヴァーゲンと発音するが、日本ではフォルクスヴァーゲンはワーゲンなのである。ちなみに、「ジープ」という表現で日本ではあの小型4輪駆動車を想像する。「Jeep」はアメリカのクライスラー社のブランド名で、クルマの一般名称ではないが、日本では一般名称のように「ジープのこまいクルマ、そうジムニー」なんて使い方をする。

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 アメ車を打ち負かしたドイツ車といっても過言ではないカブト虫・フォルクスヴァーゲンタイプ1。フォード社がアメリカT型車で持っていた大衆車の記録を圧倒的な差でもって、塗り替えていった。販売から10年後の1955年には100万台を突破した。しかしそれはまだまだ序の口で、さらに10年後の1965年には1,000万台を超え、1972年には1500万7034台、そしてラインオフ、VWゴルフへと大衆車は続いていく。四輪自動車では世界最多の累計2152万9464台を記録、クルマのレジェンドと言われている。

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 世界初の自動車を発明したのはドイツのベンツ社、ダイムラー社だが、大衆車の設計には遅れをとっていた。フェルディナンド・ポルシェ博士は「大人2人と子ども3人が乗れて、燃費は14.3km/h、故障しても修理代が安く」というプランでこのビートルを設計。それが1934のナンバープレートのビートル、↑写真、後の人物はポルシェ博士。@ドイツVW本社。その完成度の高さから、長きにわたって全世界の人に愛されるクルマとなった。ちなみにこの「市民のクルマ」は、第一次世界大戦で多額の補償金の借金を背負わされたドイツが、第二次世界大戦で戦費を調達するために国民に国債を買ってもらうためにこのクルマを目玉商品として付けたという経過がある。それに応えるために、生まれたのがカブト虫なのである。今でも走っている姿を見ると、すごいクルマだな、クルマとして基本がちゃんと出来てるのだと感心する。

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半世紀以上も生産され続けたビートル
いまではフォルクスワーゲン・ザ・ビートル

 1938年から2003年まで半世紀以上も生産され続けたビートルだが、その後あのまるっこくて人懐っこいデザインの「ニュービートル」が1998年発売される。そして進化するビートルは2012年には「フォルクスワーゲン・ザ・ビートル」として発売された。ベース車はなんと235万円、今のリッタークラスの大衆車の価格設定が150〜250万円と言われているから、いまだに大衆車でありつづけるビートルもすごいなぁと感心してしまう。ただ実際は昔の大衆車と呼べる以上の性能と室内環境で、これまた感心してしまうのだが。

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 いまでは大衆車という言葉すら死語になりつつあるが、しかし実際町を走っているクルマの大半は、選ぶ選択肢が多いだけで大衆車であることも事実だ。しかしその大衆車にサーフボード載せて、と言った夢がないことがさびしいけれど。ちなみにわたしはフォルクスワーゲンのゴルフを意識してつくったと言われているマツダファミリアの天井にウィンドサーフィンやロードレーサーを乗っけて走っていた。そんなばか者いやわか者をあまり見かけない今のクルマ環境にはすこしさびしいものがあるけれど。

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