日本光學工業株式會社NikonF 1959年-

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一眼レフカメラの最初NikonF
フラッグシップ機とよばれた最高峰

 1960年代はモノがなかった時代、そして購入するとなると当時の初任給の10倍なんていわれていたモノ・機器が多かった。そんな中のひとつがカメラだ。【家族写真】を持っていることがステータスであり、写真機を持っていることはさらに凄いことだった時代。いまでは撮影機材はケータイ。誰でも、それこそ幼稚園児でもシャッターが切れる時代。それが1960年代からしばらくの間は、そうではなかった。

 敗戦後アメリカに占領された時点で、当時日本が持っていた飛行機産業技術は意図的に廃止された。またその他の優れた日本の製品技術は、戦勝国へ支払う外貨を稼ぐために海外向けにモノが造られたりしていた。それが今の技術に綿々と受け継がれているのだ、戦艦大和建造時の技術のひとつ、プレハブ工法は今では家造りに活かされている。

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 ドイツと同盟を結び、そのころ群を抜いていたドイツの写真工学技術が日本に一挙にもちこまれた。カールツァイスライカと言うとカメラ好きなら知っているだろう技術が。なぜそうした技術が戦争に必要かとなると、敵を見張る望遠鏡や大砲を撃つときに相手までの距離などを計測する機器に必要だったのだ。戦艦大和には「日本光学」と刻印された砲台計器が備え付けられていた。潜水艦の潜望鏡も「日本光学」だ。

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 ドイツからやってきた「おやとい外国人」と呼ばれる技術者は、この地で生活しそしてこの地でお墓もあることが実はあまり知られていない。横浜や神戸にある外国人墓地がそうだ。レンズ、カメラ、そしてフィルムと言った製品の礎を伝えてくれた外国人がいたことも決して忘れてはならない。

Nikonはいまや光学機器世界トップメーカー。しかし戦後まもなくは、レンジファインダーとよばれるカメラを占領軍向けに製作していた。それの証拠が「オキュパイド ジャパン」と刻印された文字だ。「テディベア」の所でも述べたが、戦争に負けた国はその賠償金を戦勝国へ支払うために、血のにじむ努力をした。それが輸出による外貨獲得ということだ。日本は戦争に負け、そして勝った国へと日本製のカメラやおもちゃ、陶器を販売していたのだ。

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日本の技術の高さを世界に証明した
精密機器、それがカメラ

 日本工学が製作した NIKON Sシリーズがそれにあたる。朝鮮戦争下でアメリカ軍やそれに追従した雑誌『ライフ』のカメラマンがこのNIKON Sを使い、高い評価を受けたのも、アメリカで日本製のカメラが爆発的人気を得たきっかけにもなった。当時からドイツのライカはとてつもなく高かった、それにくらべて同じ品質でよく撮れるニコンはコストパフォーマンスが高かったのだ。アメリカ人のすごいところは、けんかした相手であろうなんであろうが、同じ製品なら良いモノが一番やぁ〜という公平さとでも言おうか、その感覚の素晴らしさだ。だからコンピュータはアメリカで進化し続けているのかもしれない。

 その頃、ドイツのライカ、ツァイスとアメリカのコダック、そして日本の日本工学が百ミリの望遠レンズをレンズ交換だけで使える、レンジファインダーカメラの進化系である35mm一眼レフボックスカメラをなんとか開発しようとやっきになっていた。レンジファインダーはレンズ交換すると、↑写真のNikonSの様にファインダーを別に取り付けなければならなかった。

 カメラの進化として一眼レフカメラが1959(昭和34)年に登場する。今では当たり前になった一眼レフ、その原点がこの【Nikon F】だ。このカメラは世界で大反響を呼び、オリンピックのカメラマン席はこのカメラとニッコールレンズの望遠が席巻したのである。

 各種のファインダーや接写装置や、多様な交換レンズ、といった豊富なアクセサリーが「新時代のあたらしいカメラ・一眼レフ」とともに発表されたからでもある。この辺りがほかの日本製品にも通じる、おもてなし感覚のような、こうすることもできますよという発想かもしれない。

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フラッグシップニコンFシリーズも
デジタルでD一桁に

 いまではデジタル化されてしまいニコンのフラッグシップ機もFからDへと変化したが、今でもフィルムカメラファンの間では一度は使ってみたいカメラとして君臨し続けているNikon F。F は一眼レフのレフ「ReFlex」のF である。写真をみていただければわかるが、発売当初はNIPPON KOUGAKU TOKYO刻印されていたが、その後Nikonと刻印されるようになった。ちなみに社名も今ではニコンと変わっている。

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 感光紙カメラを作っていたニコンはいまでは、コンピュータを作るために必要な基盤撮影の技術を持っている。ニコンは実はカメラ屋さんで儲けているのではなく、そうした最先端技術によって儲けているのである。いまだに宣伝はヘタで、カメラはキャノン・観音ですよねぇって言われてしまうのが悲しいぃが。

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