Thomas Alva Edison映画1888年-

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素晴らしきかな人生、それは映画
映画がなんでも教えてくれた

 【映画】を発明したのは、京都の竹をフィラメントに使った電球の発明で有名なトーマス・エジソン/Thomas Alva Edison。1888(明治21)年にキネトグラフを発明し、それがいまの映画へと進化していった。日本には1896(明治29)年に神戸花隈の新港倶楽部で【キネトスコープ】が上映されたのが最初とされている。

kinetoscope

 写真のように、当時の映画というのが覗き絵のような造りで、今の映画のカタチを創ったのは、1894年フランスのリュミエール兄弟/Lumière と言われている。彼らは輸入されたキネトスコープを観て、撮影機と映写機のふたつの機能を合わせ持った装置【シネマトグラフ=リュミエール】を完成させた。

東京浅草六区や大阪道頓堀の映画館街
映画でニュースを見てた時代

 この映画システムが日本に上陸して、1900(明治33)年代には巨万の富を生みだした。その映画が生み出した富で、台湾の独立を資金援助した映画人もいる。日本活動映画株式会社/日活の創設者のひとり・梅屋庄吉(1868-1934)は、台湾国の父・孫文(1866-1925)への辛亥革命の資金援助をおこなっていた。白瀬矗の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得た多額の資金を革命に投じている。

1956(昭和31)年の道頓堀の映画館、ジャン・ギャバン主演フランス映画『ヘッドライト』がかかっている

1956(昭和31)年の道頓堀の映画館、ジャン・ギャバン主演フランス映画『ヘッドライト』がかかっている

 その時代、東京浅草六区や大阪道頓堀の映画館街はそうした映画を観るために毎日たくさんの人で賑わった。当時映画は娯楽性だけでなく、ニュースやスクープを報道する場所でもあり人気に拍車がかかる。また映画を上手くつかって、国民を煽動する道具としても映画が使われるようにもなっていく。

 映画を上手く使い国威高揚を成し遂げたのがアドルフ・ヒトラー(1889-1945)と言われている。国民に対して演説を効果的に浸透させる手段として、映画を使用。ドイツ国債を買わせるために、映画フィルムの中で「市民のクルマ・フォルクスヴァーゲンを国債につける」と演説したのだ。

chaprin

「誰もが征服し、支配したくはないのだ。出来ればみなを助けたい。ユダヤ人もキリスト教徒も、黒人も白人も、お互いに助け合いたいのだ。お互いの不幸ではなくて、お互いの幸せを祈って生きていたい。お互いに憎しみ、軽蔑しあうことなどしたくはないのだ。世界には全人類を養うだけの富がある」これは映画『独裁者』1940年のなかで、チャールズ・チャップリン/Charles Chaplin(1889年 – 1977年12月25日)が全世界の人へと演説をした台詞。

映画もフィルムからデジタルへ移行
そしてモノラル、ステレオ、いまではマルチで音が凄い

 現在もフィルム上映もされてはいるが、主流はデジタル。フィルム時代の映像をデジタル化して、さらにレタッチ作業などを加えて、より鮮明に映像化した古い作品も最近よくみられる。映画館形態も単館ロードショウから、大小の複数のスクリーンを持ったデジタル映写機を持ったシネコンが主流になっている。

NewYorkブロードウェイのアダルト映画館1992年

NewYorkブロードウェイのアダルト映画館1992年

『シネマパラダイス』での大きな白い壁やシーツに映像を映し出す発想は、いまではプロジェクションマッピングと呼ばれる技術を生み出した。カタチは変わっても、それは進化の過程であって、もとをたどれば映画の手法と同じなのである。

 映画から発せられる言語が解らなくても、なぜだか通じるのは、そこには生身の人間が介在しているからで、国は違っても感覚は人間そんなに変わりはしないということを映画は教えてくれる。

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