
セナのサインが入ったヘルメット
アイルトンセナが青春だった
TRUTHを聴くと血が騒ぐ
その当時はなんであれほど熱狂したのだろう、誰もがみな。と思うことがある。T-SQUAREの『TRUTH』の曲がフジテレビの【F1グランプリ】のテーマ曲になり、大ヒットした。あの曲をいまも聴くと、このクルマを思い出すのだから、その力はすごかった。この曲のちにパチンコ屋さんの「軍艦マーチ」に取って代わった。いまでは丸くなった印象の古館伊知郎さんの熱狂解説のような、ほんとは実況中継が耳に残った。
このクルマのドライバーはアイルトン・セナ。その名前はクルマ好きでもない女の子でも知っていた。「背(せな)で泣いてる」と『北の国から』の純くんがセナのポスターを見ながら言っていたくらい。1994年5月1日のイタリアでおこなわれたイモラー決勝で、超高速左コーナータンプレロで時速312kmで走行中、コースアウトしてしまい200km以上のスピードでコンクリート壁に激突、ウィリアムズFW16マシンは大破。
私たちはセナ=マクラーレンホンダのこのマシンを想いうかべてしまう。このホンダV6ターボエンジンが実力を発揮しだした1986年。ホンダは当時ウイリアムズと組んでF1を戦っていたのだが、契約期間を残しながらも1988年にマクラーレンと契約。そしてその年、ロータスからトップドライバーであるアイルトン・セナが移籍。アラン・プロストと共に同じチームで競い合うという構図になった。
実際、世界最強のホンダV6ターボエンジン+シャーシー+アラン・プロスト+アイルトン・セナで勝てないわけがなかった。1988年のマクラーレンホンダは全16戦中15勝、イタリアのGPを除いて。しかも9回はセナ+アランでワンツーフィニッシュである。そしてセナはF1世界選手権ではじめてワールドチャンピオンとなった。もう向かうところ、敵なし状態。そしてターボエンジン禁止へとレギュレーションが変更される。しかしその後もV12ではなく小型軽量のHONDA V8、3.5lのNAエンジンでセナは疾走する。早く走るのに巨大大型化させるという西洋の考えでなく、日本的な小型軽量でもより早くエンジンを回転させればいいんだという発想がすごい。
マクラーレンホンダが1988年全ステージ制覇できなかったイタリアのGPで、1994年のF1世界選手権で盟友アラン・プロストが解説する中、【音速の貴公子】アイルトン・セナ(1960.3.21-1994.5.1)は34歳の若さで天に召された。
世界最強のホンダを
もう一度F1で観る、それが夢
2016年F1世界選手権は第67回をむかえる。日本では10月に鈴鹿サーキットで開催されたが、以前のような熱狂的な盛り上がり感はない。2015年よりホンダはパワーユニット、エンジンとエネルギー回生システムのサプライヤーとしてF1に復帰。HONDAの本拠地である鈴鹿で結果が出せず、残念だったが。
1990年代前後の【F1グランプリ】は、タバコメーカーのロゴが印象に残る。マクラーレンはマルボロの赤と白のイメージカラーであり、ロータスはキャメルの黄色やJPSの黒のイメージカラーが強烈。しかし、今ではタバコメーカーの広告規制が厳しい。