能率協会マネジメントセンター 能率手帳 1958年-

阪神淡路大震災前年の2014年、交通事故で紛失した2011年、そしてバックごと盗まれた2015年の能率手帳は無い

会社から配布されてた能率手帳。
いまでは大切な相棒

 就職した会社から支給されたのが、この【能率手帳】だった。「こんなもんで能率があがるなら」なんて思っていたが、使ってみて納得。よくて今でも愛用している。歴史は古く1949年から作られていて、1958年から一般販売されている。それからずっと能率手帳とのおつきあいがはじまる。と言っても何度か途中で、他の製品に変えたことはある。一度はファイロファックス、そしてもう一度はiPhone+Macのカレンダー。

 ファイロファックス・filofaxは、バブルの頃から一世風靡した皮製の95×170mmの用紙の手帳。人からプレゼントされたものだから、この手帳も使わなくては、その方に悪いと、、英国製で堅実な感じがするこれはこれでいい手帳だったが、携帯するには大きすぎた。ポケットに入らない。そしてポケットに入るコンピュータiPhoneのカレンダーアプリだが、これも一長一短がありすぎて、これだけに頼っていたら「同期しますか」で同期したら動悸がしてきて大変なめに。

 わたしの1990年からの能率手帳一覧をみると、同じカタチで統一されていて気持ちいい。薄黄色の用紙の色が絶妙で、これがまた経年変化にも強い。20年以上前の手帳でもきばんで無い、はじめから黄色がかってるからと言う人もいるが(^○^)

 そして手帳をみるとその年になにが起ったかが思い出されるのがいい。手帳に貼りつけたステッカーやコンサートチケットや切符のたぐいは、それだけでおもしろい。手帳の文化というのは、やはり書いてなんぼだとおもう。単にスケジュール管理だけなら、iPhoneの方がわすれずに記念日を報告してくれたり、使い勝手はいいに決まってる。しかしである。

 まずスケジュールは変更があって当たり前、その履歴が目にみえないのがコンピュータの世界。一目みてすべてを知る、それが書いた文字で一目でわかる手帳のスゴいところ。いまでは能率手帳とiPhoneカレンダーを両刀使いしている。モノの存在感がないのがコンピュータの世界であり、いつでも最新バージョンのアプリでしかありえないことで、懐かしさがない。

 同じ商品を、数十年世の中の送り届ける。そうしなくてはいけない商品分野というのがあるとおもう。私にとっては1995年の手帳というのは、何度も読み返してしまう手帳だ。1月17日にマンションの2階3階部がぺしゃんこになり、全壊となったわが部屋から見つかった手帳だから。1994年の能率手帳は地震のあとマンションと共にゴミとなった。

 1995年12月25日の手帳、「AP通信がアメリカ国内のマスコミを対象におこなったアメリカの1995年10大ニュースで、阪神大震災5位」「神戸母子寮へクリスマスプレゼント」。そんな過去を見出してくれるのも能率手帳があるおかげ。この手帳はあのすすけた臭いとアスベストも舞っていたであろう粉塵のなか、倒壊した家から何かを取り出そうともがいてた時に一緒に居てくれた同士であり仲間であると。それがコンピュータのソフトではつくり出せない、リアルな商品としての価値なのかもしれない。

いまだにスケジュール管理のキング能率手帳
+iPhoneのスケジュール

 2013年からNOLTYと名前を変えたらしいが、読み方すらしらないので、能率手帳でええわァ。最近の商品の多くに小手先を変えたり、名前を変えて満足する風潮があるけれど。あれはスーパーの売り場をリニューアルとしょうして、売り場変更して煩雑にしてお客さんが欲しい商品を見つけられず、既存のお客さんを自ら手放しているのとおんなじ悪い例だとおもう。

 だってある量販店さんの文具コーナー行って「能率手帳ありますか?」ってきいたら「ありませんねぇ」と。だけどNOLTYとしてあったけどね。名前が全てを物語ってた商品なのに残念、、そこでは購入しなかった。そんなもん、人間の心理って。なんだか能率的ではない話しだよねぇ。

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