ラジオ放送開始 1920年-

ラジオは声を伝えるから、人は安心する。
ラジオから始まった広報宣伝

 いまではラジオがどんな機器であるか、それを知らない世代も生まれつつある時代。ラジオはケータイ電話のアプリの中、かわいそうに名前まで変えちゃってる、ラジコ。ラジコが災害時の緊急放送に使われるのなら、ケータイのバッテリーをバックアップするシステムを防災上の観点から考えんといかんのちゃいますか。

ラジオ放送のありがたさは、阪神淡路大震災で被災した者にとっては身にしみてわかる。まずエネルギーのAC電源は震災時には使用不可能。そうなると頼みの綱のエネルギーは乾電池。その乾電池で何時間も災害情報を伝えてくれるラジオは命の綱でした。

真空管ラジオ、短波放送が主で中波も聴ける、電池とAC電源。ZENITH社

 モノについてこのコラムを書いていますが、その役割はもう他に移ったとおもわれる商品でも、使い続けている人もいれば、それがこうした緊急災害時には必要になってくるが解る。1980年代にケータイの前に一世を風靡したポケベルは、実は生きてる。ポケベル電波はコンクリート壁などを通しやすいそうで、緊急災害時の無線電波として。

 破壊された町のなかで15時過ぎからさむく暗くなってくるなか、なんとか自分の生活していた品々をさがそうとしている時、ラジオから流れる人の声がどれほど助けになったことか。人の声のぬくもりはこうした状況ではほんとにありがたい。ラジオ放送がなくなることなどないとはおもいますが。ただ、アーカイブのようなものばかりになると困りますが。

 ラジオ定時放送のはじまりは、いまでは原子力発電会社と言った方がいいアメリカのウェスティングハウス社が、1920年に自社が作ったラジオ受信機を売るためにラジオ放送の免許を世界ではじめて取得したことからはじまる。ラジオ受信機の販売で得たお金で、こんどはエネルギー産業へと移行したウェスティングハウス社は、その後東芝の傘下に。

1955(昭和30)年 日本最初のプリント配線ラジオ、松下電器3900円

 関東から北は50Hz、静岡、長野、富山から南は60Hzと電源周波数地域が違うのは、北はアメリカの原子力発電、南はフランスの原子力発電を買わされたからとも言われている。第二次世界大戦で占領された日本がこの線で南北に分断されていたら、と思うと隣国のことをとやかく言えないのではないだろうか。

 ラジオ放送以前の通信はアマチュア無線。これはONEtoONEの対面ですから、情報も広範囲には伝わらない。しかしラジオ放送ができたおかげでONEtoNの多数への伝達が可能になった。そしてそのラジオ局を運営するのに、このN一般大衆へ瞬時に訴求できるメリットを活かした宣伝広告でのお金がラジオ放送をアメリカ全土で流行させた。

 日本ではヨーロッパを模倣して、ラジオを聴く側から政府がお金を取る方式でラジオ放送が開始。1925(大正14)年、民間放送発足の動きがあるなか、政府主導で社団法人東京放送局が誕生。「ラジオは文化の機会均等をもたらし、家庭生活の確信や教育の社会化、経済活動の活性化につながる」と、後藤新平初代総裁。

クルマとラジオは切ってもきれない関係
局ステッカーがバンパーを飾る

 長距離トラックの運転手さん向けの深夜番組があるように、クルマとラジオは切っても切り離せない関係。それを逆手にとった、クルマのバンパーにラジオ局のステッカーを貼ってもらって放送局の宣伝をすることも1990年代前後流行。ステッカーを貼ったクルマを見た視聴者にプレゼントが配られるというもので、私もクルマに貼っていた! 
 いまもラジオから流れる交通渋滞情報は、それなりに使い勝手がいい。音楽を純粋に聴きたい人はFM、そしてAMはいまだに深夜番組が若い世代にうけているのも事実。インターネット上の嘘八百の情報過多のなかで、ラジオパーソナリティのフィルターを通して正しい情報が得られるからかもしれない。

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