森永製菓 板チョコレートとバレンタインデー1918年-


チョコレート文化が開花した国
それは日本

 チョコレート製造が日本ではじめて行われたのは、1877(明治10)年ごろ。東京の凮月堂米津松蔵が「貯古齢糖」の名でと発売したのがはじまりと言われている。いまではあまりにもポピュラーな存在になったチョコも、そのむかしは舶来品・洋菓子のひとつ。

 当時の記録では、チョコレートはあまり好評ではなかったようで「苦くて食べられたものではない」という印象のようだった。当時のチョコレートは一口サイズの高級なお菓子で、高価、そのため手軽に口にできるものでもなかった。贅沢で時代の最先端の嗜好品だった。

いまではスーパーの特売では70円代で買えてしまう板チョコ

 それが誰でも気軽に食べられるようになったのは、今でも人気のある「板チョコ」のおかげ。その日本の板型チョコレートの歴史は森永製菓、当時は森永商店と言われていた、が1909年に玉チョコ生産をはじめてから。


最も愛されているチョコレートは
板チョコ

 シュガークリームにチョコレートがけした玉チョコが日本で作られるようになったのがチョコレートの始まりとも言われている。1899年に森永太一郎が創業した森永洋菓子製造所が、この玉チョコを製造。居留地にすむ外国人の間で好評で、その後チョコの本格生産に移行していった。

 1918(大正8)年にはカカオ豆からの一貫生産をはじめ、セピア色した板チョコ「森永ミルクチョコレート」が誕生した。これは画期的なことだった。「チョコレートは明治」の板チョコも1919年に発売されている。当時は手作りチョコを作るにもその材料調達が大変だったと私の持っている洋菓子メーカーの社史記録にはある。

「あなたのバレンタイン=愛しい方にチョコレートを贈りましょう」と書かれたMorozoffの広告1936年、
神戸トアロードにあったその名もバレンタィンコンフェクショナリー

 大正から昭和にかけてドイツ、フランス、ロシアといった各国から洋菓子職人が来日して、日本でチョコレートをはじめとする洋菓子文化をかたち創ってくださった。1923(大正12)年ロシア革命を逃れて日本へやってきたロマノフ王朝最後のチョコレート職人のマカロフ・ゴンチャロフ氏もそのひとり。彼は米井連三郎氏と共同経営で神戸中山手カソリック教会横でチョコレート製造をはじめている。

 そして昭和の時代に入り、チョコレートは大衆の味へと浸透していくのだ。それを決定的にしたのが、バレンタインデー。女の子から男の子へチョコを渡すと言う文化。

2013年イタリア・テルニ市長と神戸市長、モロゾフがあった阪神御影南側での握手@アイスケーター羽生結弦選手が東北震災後訪れた弓弦羽人(ゆずるは)神社の祭りへ中御影だんじり宮入


バレンタインデーにチョコを贈る習慣は
日本だけ、そして発祥は神戸

 このチョコレートデーと言ってもいい日のはじまりは、神戸からと言われている。関東大震災後に関西に移住してきた外国人のなかには数多くの洋菓子職人がいた。そうした人たちが培ってきた洋菓子文化。それが聖バレンタインディにつながったのだ。ゴンチャロフモロゾフユーハイムフロインドリーブと神戸のなかで外国人洋菓子職人がチョコ文化を日本に根づかせた。いまでは日本はチョコの大消費国とも言われているし、チョコを使ったお菓子の数は世界一とも。

チョコレートの町・神戸は個性あふれる手作りチョコが洋菓子店で一年中売られている

 ただ悲しいのは板チョコは、義理チョコという不名誉な名前をつけられていることだけれど。私に洋菓子の味を教えてくれたいまでいうパティシエ、むかしはコックさんと呼んでいたが、その洋菓子&パン職人さんはいつも私にタバコ型した箱から森永ハイクラウンというチョコをくれた。その味が私にとっては最高のチョコなのだが。

1992年聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が贈られた、
それが新神戸布引きハーブ園グラスハウスにある

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