阪神電気鉄道 甲子園野球場 1924年-

野球小僧にとって憧れ
それが甲子園 

 もう100歳近くにもなる甲子園球場。えとの最初の組み合わせ、きのえねのとし甲子という60年に一度の縁起の良い年に完成したので甲子園大運動場と命名されたのが、阪神甲子園球場のはじまり。阪神電車が所有するので阪神と冠がついてるが、普通は「甲子園」「甲子園球場」と地元では呼ぶ。このMonoマガジンでは正式名称はあまり意味が無く、人から愛される商品は愛情あふれる名前で呼ばれていることがよくわかる。

 高校球児の憧れの球場であり、いまでも高校野球人気は根強い。毎日甲子園に高校野球を観に行く少年もいまだにいる。高校野球のときは、外野席は無料である。今でこそ数千円するプロ野球の外野スタンド。しかし昭和の時代は5回過ぎれば無料開放の広島市民球場や、試合によっては無料開放の西宮球場などがあった。閑散としたスタンドにするくらいなら、誰でもフリーにすれば夕涼みに球場に行こうかという気分にもなる。

2005年夏撮影の甲子園球場の外野席外壁

2007年から大改修がはじまる
蔦のからまる球場からイメチェン

 高校野球=甲子園球場=蔦の絡まる球場だった。いまではN.Y. Yankeesで3年連続開幕投手を勤める田中将大選手が、北海道駒大苫小牧高校時代に優勝した年までが蔦の絡まる風情ある球場だった。それから蔦が移植され塀で覆われ2008年にはじまったリニューアル工事が2010年に完成。

 甲子園の蔦が高校などに移植され育てられ、そしてまた甲子園へ。まだ蔦がからまり古めかしさは出ていないが。いまだに昭和時代のおもかげを残している座席のつまった古めかしい球場ではある。またそれが関西らしくて良いのだけれど。

甲子園、高校野球アルプススタンドでの応援

甲子園ドーム球場は
実現せず

 1995年の阪神淡路大震災では、甲子園球場もスタンドの一部が破損したりする被害をうけたが、その年春の67回センバツは開催され、人々に希望を与えた。この当時までは、甲子園球場のドーム化が隣接する阪神パーク遊園地の跡地に計画されていた。しかし、地震影響ほかの理由で白紙に戻された。

蔦と共に甲子園名物・「ぎんさん」の愛称で親しまれている「大銀傘」は川崎造船所で作られ1951(昭和26)年に完成した。川崎重工業の前身・川崎造船所は銀座交差点の和光ビルの骨組みも製作している。

 夏の甲子園に高校球児を応援しに行くと、夏を実感できるので私は毎年行く。ドームでクーラーのなかでする高校野球は、ありえない。雨も降るし、海風も吹く、自然を感じる球場だから観ていて楽しいのだ。一度でいい、夏の甲子園、アルプススタンドで高校球児の応援を地元からやってきた応援団と共に体験して欲しい。

 北海道出身の友人に誘われて「もしかしたら北海道へ優勝旗がはじめて渡るかもしれない。歴史的瞬間を観てみたい」と誘われたことがある。野球を観る楽しみと、応援する人たちを観る楽しみの両方を楽しめるのでぜひオススメなのである。オススメのアルプススタンドは600円で楽しめる、外野席は無料。

北海道代表・駒大苫小牧優勝。一番後ろの背の高い選手が、今ではヤンキースのエース19田中将大選手

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