日本国有鉄道 デゴイチD51 1936年-

鉄ちゃんでなくても憧れの
蒸気機関車といえばスリーナイン?!

 小学生の頃、まだ蒸気機関車は走っていた。そして元町駅から広島へ墓参りに行く時観る光景に、国鉄鷹取工場で整備している蒸気機関車D51があった。こんな話しをすると、周りの人は「あんた何時代に生きてたの?」なんて言うが。つい最近まで蒸気機関車は走っていたし、神戸港には鉄路が敷かれ貨物列車が走っていた。

 愛称デゴイチorデコイチで親しまれているD51型蒸気機関車は、神戸の川崎車輛で1号機が生まれている。神戸は川崎のお膝元。松方内閣なんてのを聴いたことがあるだろ。その首相・松方正義の子・松方幸次郎=川崎のイメージだ。川崎車輛はもともと川崎造船所から分かれた会社。1896(明治29)年に株式会社川崎造船所が設立され、松方幸次郎が社長となった。艦船、橋梁、航空機、鉄道車輛、自動車を造っていた。世界大恐慌時代に、川崎車輛として分社された。

 その川崎車輛でつくられた蒸気機関車がデゴイチだ。日本でつくられた蒸気機関車の中でもっとも台数が多くつくられたのもデゴイチ。日本国有鉄道の前身・鉄道省が設計したもの。それを川崎車輛をはじめ日立製作所三菱重工業、日本国有鉄道の工場で造られていった。

人気ではでかい車輪の
C62が華があるが

 しかし、蒸気機関車で人気があるのは車輪が3個、ABCの三個目CのC62だ。ちなみに松本零士さんの漫画スリーナインはC62だ。Dは4個車輪でこじんまりとまとまった感がする。しかし基本性能がすこぶるいい。物資輸送にはこうした基本がきっちりとした生真面目そうな機器が良いようだ。

 デゴイチが生まれたのは1930年代。白色人種による植民地化ではなくアジアの民による大東和共栄圏をかかげ、日本が大陸に進出していた時代。大陸での輸送の要は、当時は鉄道であり、蒸気機関車だった。アジア大陸に鉄路が敷設され、そして大輸送時代へと進んでいく。それは物資を運び人が豊かになるための手段でもあった。

 こうした時代背景をバックに設計されたのがD51型蒸気機関車だ。そのD51の1号機は川崎車輛で1936(昭和11)年に完成。いまでも京都の梅小路で動くカタチで動態保存されている。その後、デゴイチは物資を運ぶための手段として、なんと1,120両が製造された。日本製蒸気機関車で千台を超えて生産されたものはD51シリーズ以外ない。D51は台湾やロシアでも動態保存されて動いている。

いまだに動態保存されていて梅小路機関区では走ってるD51の第一号車

戦争の落し子と言われた
デゴイチは復興に大活躍

 大東亜戦争時代、大活躍したD51は、戦後も大活躍。戦争中は資源の無い国日本において、極力無駄を省き、効率よく動く鉄道をつくる、その代表選手であったD51。その後も部品の簡略化を進め1944年まで製造された。

 1971(昭和46)年時点の国鉄在籍の蒸気機関車1500両のうちの600両がデゴイチ。戦後復興のために資材を積みこんだ車輛を牽引したのがこのD51なのだ。下支えする人やモノは派手さはすくない、華もないかもしれないが、陰の功労者、技術者、職人がいるから今のわたしたちの生活もある。そんなことから、デゴイチと人々から愛され、いまも各地に大切に保存されている。

 いまの鉄道輸送でいうところでは、桃太郎か。すべての輸送がひとつだけの方法でまかなえるわけではない。なにか起った時に【代替え手段としての方法があれがば助かる】そんなことを震災で私は学んだ。空、陸、海。そして飛行機、クルマ、鉄道、船。それを全て創れる国が日本でもある。

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