駅の伝言板 1904年-

待っています。
その文字だけで解った時代

「ドルフィンで待っています」そう【伝言板】には書いてあった。僕は実験実習のやりなおしで彼女との約束を3時間もオーバーしていた。もうだめだなぁ、と。

 でも彼女はいた。水の入ったコップをみつめながら。「船がいま通った」と。「そうなんだぁ。」駅の伝言板はまだ「待っています。」の彼女の文字が、その横に僕の字で相合い傘を書いた。

 そんな想い出がある人はひとりやふたりではない数だろう。1970〜1980年代に駅で待ち合わせしたカップルで伝言板を使わなかった人はいないのでは、と思えるくらいポピュラーでもあった。昭和の情景のひとつでもあった。

 駅で人の波に立ち向かいながらの待ちぼうけで、疲れて果て。「待っています」と喫茶店や公園の名前を書いて。伝言板に名文句を書いてる人もいたりして、これを読むのが好きだった。

 伝言板のはじまりは古く1904年というから明治時代。東海道線の新橋駅をはじめとする8つの駅に、【告知板】という名称で設置されたのが発祥という説がある。

 駅の伝言板は1990年代までは、私鉄、省線、国鉄、JRとわずにどこの駅にもあったときく。チョークと黒板消しは、駅員から貸してもらう駅とそうでない駅があった。伝言は5時間くらいで消される駅から、次の日まで残っている駅まで、そんな所もアナログでいい。

名古屋地下鉄の大須観音駅で出合った伝言板2009年

昭和の情景
究極のアナログろまん

 駅の伝言板だが、伝言板は昭和の時代、町の市場の入り口やスーパーマーケットなんかにもあった。そこには「かわいい子猫あげます」「いらない植木鉢あげます」とか書いてあった。

 しかし、駅の伝言板はなぜだかドラマがあった。通学で通う駅の伝言板には、いろんな感情が書かれていた。「3時間も待った。もう帰る、あほ!まちこ」そのカクカくした書体からは怒りすら感じ取られた。でもこれを読んですこしほっこりもした。だって「まちこ」さんではなくて、、と。

神戸地下鉄の板宿駅で出合った伝言板2005年

ケータイの普及とともに
姿を消した伝言板!?

 ポケベルが鳴らない、そんな時代にも伝言板はご健在だった。でも、1995年の阪神淡路大震災後くらいから姿を消しだした。その頃からケータイが普及しだしたからだが、ある私鉄の駅員さんに伝言板のゆくえを聴いたことがある。

「ほんとはあった方が便利なんですよ。阪神淡路大震災の時も役に立ちましたから。でも、震災後ひとの心がささくれ立って、差別用語を平然と書いてたりと便所の落書き状態になったので。」と。

 1990年代からわけのわからん落書きが流行った。読む事もできないような文字か絵? 美的感覚をうたがうものが。人にみせたい気持ちはわからないでもないが、自分のことしか考えてないようなモノにしか私にはうつらなかった。

RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』2011年日本映画。富山地方鉄道が舞台のなかで、伝言板が。

残って欲しいと誰しもおもう
誰かの願いを読む伝言板

 今でも一部の駅、なぜだか地下鉄駅などにまだ「伝言板」が残っていたりもする。「伝言板さがし隊」なるもの結成して、さがしたい気分でもある。

 SNSをはじめとして一生懸命デジタル伝言板なるモノは存在するけれど、いちいち会員登録したりしてまで、むかしのあの「伝言板」のように使いたいとは思わない。

 野口五郎さんが歌う「私鉄沿線」のように、伝言板に消しても消しても描いてあるおんなじ文字、おなじ伝言を読むのが大好きだった私としては。

 小学生のときから慣れ親しんだ黒板に、チョークで書かれた文字にあたたかみを感じ、そして書いた人におもいをはせる、それがいいのだ、それでいいのだぁ。

日本一美しい駅・美作滝尾駅で出合った山田洋次監督からの伝言。
駅舎にたたずむのはモノマネ漫談の野口寅次郎さん。

スポンサーリンク