神戸居留地18番A.Cシム商会銭湯で飲むラムネ 1884年-


神戸で生まれたラムネ
サイダーとは親戚

 ラムネは神戸ではハイカラでトポピュラーな飲み物だった。それもそのはず、あの独特なビンの意匠とともに日本へ持ち込んだ会社が神戸に有った。明治初期に神戸旧居留地の18番館シム商会が日本で初めて製造と販売を行なったのだ。その名も18番ラムネ。ラムネという名称は、イギリスからもたらされたlemonadeレモネードが転訛したもの。しかし、日本のラムネはレモネード味とはほど遠い。どちらかというと甘い炭酸水、サイダーの親戚。飲料水ラムネ製造は国からのお達しで大きな資本は参入できず、小企業がつくっていて、各地域で味や瓶のカタチもちがうので、いまからの時代にはもってこいのご当地グルメなのである。

 イギリス出身の薬剤師、実業家であったAlexander Cameron Simは1884年頃からラムネの販売を手掛けた。『日本清涼飲料水工業発達史』には「神戸のA.Cシム商会が日本で最初のラムネだろう」と記されている。ただ小規模に他の地域でもラムネは製造されていたらしい。このシムさんは日本でのボランティア活動草分け的存在。当時起った濃尾地震、明治三陸地震の際に居留地の外国人たちから義捐金集めに奔走し、さらに自ら被災地に赴き食料や衣料の配給にあたり活躍したというから驚きだ。またシムさんは六甲山をレジャーで登るという行為、いまでいう登山を日本にもちこんだ人でもある。

アレキサンダー・キャメロン・シムの碑@神戸東遊園地


 神戸は神戸ウォーターとともに神戸炭酸水が有名で、ありゃまぁ〜有馬サイダーなんてのもある。いまでも有馬温泉街には炭酸水が出る場所があり、実は私は時々そこの有馬炭酸水を汲みにいく。また炭酸を含んだ水が井戸から出たり、それを湧かした温泉施設が神戸市内に有ったりする。


オールガラス瓶のラムネは
澄んだ音がする

カランコロンと澄んだビー玉の音を聴かせてくれるラムネ瓶。いまでは口の部分がプラスチックになり、音もくぐもってしまった。それに以前のように中身がバリバリと溢れ出す風情もすこし失せてしまって、なんだか浴衣を濡らしながら子どもの頃飲んだ記憶からはほど遠い。

 ガラス職人に聴いた所、「むかしながらのオールガラスのラムネの瓶は、たぶん職人が手作りしていたのだろう。ガラスが薄くてそれでいて丈夫。いまのプラッスチックの飲み口の瓶は大量生産のために分厚くあまりガラスとしては魅力がない。そしてB玉ではなく、ラムネに入っている球は蓋にするためにはキレイな真円にならないとそこから液漏れが発生するのでA玉だ。球の製造過程で真円はA級品。そしてはねられた物はB級品、でビー玉になった」と教えてくれた。


小企業でしか作れなかった
お上に守られていたラムネ製造

 不思議なのはどうして、ビー玉で栓がされるのか? これはラムネの炭酸圧力で、瓶を逆さにすると自然と栓をするのだ。ラムネの瓶ひとつにもいろいろな工夫がほどこされているらしい。ラムネの中身だけはいまだにプラスチック栓の瓶で飲めてしまうが、どこか風情がない。しかしこれも瓶をよく洗えるようにとの役所からのお達しから、オールガラスからこういうカタチに。 

 飲料水風物のなか、明治から続き、さんぜんと輝くラムネ。大規模資本でメジャーになったのが、よみすて巨人軍有するオロナミンCならば、関西のマイナーなタイガースのようなラムネである。「なんでタイガースは弱いジャイアンツにでも弱いんやぁ〜天下りで国鉄・JRからハンシン電鉄へ、そし阪神タイガースオーナーなんかが居るからだ!!」と言う、天下り反対論者も居るけれど。あくまでも個人の見解です。

 2000年代に瓶口がプラスチックに成ってもなお、カタチを変えたがラムネ水がつづくのがありがたい。ラムネがなぜ廃れないのか、そしていまだに愛され続けているのか?  その理由を知りたい?  それは大規模な資本がラムネ業界には進出できないように小企業を守る政策をお上がとっているから。だからいまだに寅さんのふるさと葛飾柴又にラムネ製造の会社・大越飲料商会があったりする。グローバル競争がすべて良いわけではなく、地方や小企業を守るのも国の役目。

こちらは安倍首相おくさまの森永が出している子どもに大人気のラムネ菓子


 ラムネとサイダーの違いは、その容器の違いから名称がちがうだけで、基本は炭酸水。「みかん水」「アップルりんご水」「にっき水」など飲料水には地域限定で、いろいろステキなモノが昭和の時代にはあった。そして銭湯ではその土地ならではの飲料水があったのだ、それでいいのだぁ。

飲み口がプラで出来た透明瓶のラムネ水とオロナミンCが湧き水で冷やしてある商店@和歌山県熊野那智大社参道

ラムネ瓶 に関する技術一覧

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