神戸凮月堂 ゴーフル 1927年-


今でも手みあげとして
よろこばれるゴーフル

 昭和の時代、わが家にあった上等のお菓子といえば神戸凮月堂の「ゴーフル」の茶色いカン缶と泉家の「ホームメードクッキー」の白いカン缶だった。船乗りだった親父が出航する時には、必ずこのふたつを持って港を出て行くのが習慣だった。だから親父の小物入れのカン缶は、阪急電車の色にも似た扇のマークの茶色い丸い缶だった、そして書類入れは白に濃い紺の帯のカン缶。

  ゴーフルのすごいのは、その扇のマークと缶のデザインがいまだにおんなじだという事。これは大切なことで、売れ筋商品になるといきなりデザインや味の変更などでどんどん変わっていって、それでお客さんが離れてしまった、なんて商品もあったりする。こうした進物にしたい商品は、外観が変わってしまうとすこし人に差し上げるのを躊躇してしまう。それは味が変わって美味しくなかったらどうしよう、、という躊躇を呼ぶから。

 つまりはこのお菓子、大人のお菓子であり、子どもの僕たちがおいそれとぱくぱく食すことができるしろものではなかった。おめでたい晴れの日、それをおすそ分けしてもらえると、もう子どもの顔が隠れてしまう丸いゴーフルを手に持ってどこから食べようかと思案していた。さくさくと音がする感覚が、今食べてもうれしいのだ。大人になっても丸ごと食べる習慣は変わらない。ある画家の先生はなんと1枚を二つにはがしてしてしまってから、食べられた。これには驚き。


職人が一枚ずつ手で焼くスタイル
それがゴーフル

  ゴーフルはもともとフランスのお菓子。たまたま常連のフランス帰りのお客さんが、フランスにはこんな美味しいお菓子があった、それを作れないか?と。それをそのままコピーするのではおもしろくないと開発されたのがこの「ゴーフル」。

  神戸では手みあげ菓子として「瓦せんべい」というのが定番としてあった。個人店舗でお店ごとにその焼き印が違っていたり、個性があった。なんと瓦せんべいをまねて、同じ様な焼き方をしたのがゴーフルだと知ったときの衝撃は「エぇ!ほんま!」と。

 他の地方の人に言わせると瓦せんべい=和菓子だそうだが、神戸っこの間では瓦せんべい=洋菓子なのだ。このへんの感覚はもう育った環境でしかないが。瓦せんべいはおしゃれな販促ツールだったのだ!ファッショナブルな女性の絵と「吉岡洋装店」と店名をかいた焼き印で、これをお中元としてお店のお得意先や常連さんに配っていた。母親はそこの仕事をしていたので、もちろんよく食べたのだが。

 木炭を燃料にして小さな焼き機で1枚づつ手でひっくりかえしながら焼き上げる。1ぴきごとのタイヤキの焼き方のような。タイヤキも今では尾っぽがあがった「アカタイ」焼きのカタチしかみかけないが、昭和40-50年代は一直線のような行儀のいいタイヤキなんてのもあった。「アカタイ」焼きは、もともと関東のたいやきだった。

1907(明治40)年「東京勧業博覧会」でのアイスクリームを運ぶ扇のトレードマークの出前箱


お菓子は文化のエッセンス
それを観てなにを思い出すか

 子どもごころに感じたのは、ゴーフルは高い、だったら同じような有馬の炭酸せんべいを二枚がさねにして、真ん中にクリームを挟んだらいいと。阪神間の家庭では、有馬の炭酸せんべいはゴーフルよりもポピュラーな存在。友だちとアイスクリームを挟んだり、いろいろと試してみた。実はいまでもときどきしている。またコピー商品のようなモノをみかけるが、凮月堂のゴーフルに勝るものはない。

ウェハースとアイスクリームはよくあう。東京勧業博覧会に1904(明治40)年出されたこのお菓子、神戸を代表する企業・川崎グループの川崎造船所初代社長である松方幸次郎さんはたいへん気に入られ、よく食べにいかれたというエピソードをもつアイス菓子。彼が第一次世界大戦中、ヨーロッパで集めた日本浮世絵、絵画、彫刻は松方コレクションとして有名で、国立西洋美術館の母胎にもなっています。

 本物のゴーフルはバニラ、ストロベリー、チョコレートのクリームをサンドしたものしか、当時はなかったが、今ではなんとマンゴー、葡萄、バナナなんてクリームものもある。歳時ものゴーフルは新しさで楽しませてくれる。そして、神戸のおみあげ用に春節祭、ポートタワーなどの絵やタイガースロゴがあしらわれた缶のちいさなゴーフル、「プティーゴーフル」もある。

1914(大正3)年の「東京大正博覧会」は134日間750万人もの人を集めた大博覧会となった。その会場での神戸凮月堂の展示品ブース


さくさくした丸いお菓子と
あなどるなかれ

 ゴーフルのファンにはアルベルト・シュヴァイツァー・Albert Schweitzer博士( 1875年 – 1965年)がいる。医療と伝道に生きることを志し、アフリカでの医療救済活動に対してノーベル平和賞を受賞した外科医でもあり、音楽家でもあり、哲学者サルトルの親戚で哲学者でもある。

 シュヴァイツァー博士がハンセン病患者の救済活動をしいていた時に、協力していた髙橋功博士が神戸に一時帰国して神戸の大学で講演会を開催したとき、神戸凮月堂が「ゴーフル」を贈呈され、それをアフリカへ持って帰ったところ、このお菓子がお気に入りになったと。

 その後も、神戸からアフリカへゴーフルを進呈したところ、シュヴァイツァー博士からお礼状が。それは今も神戸凮月堂の誇りとして保存されているという。

現在の本店改装まえの1990年代の本店店舗


いま一押しは
赤缶ゴーフル

 いまでは赤缶とよばれる「ゴーフル・オ・グーテ」が大人気。お菓子の素材として大人気のお抹茶味に、紅茶、そして神戸といえば珈琲とみっつの味が楽しめちゃう。ただわが家では抹茶がまずなくなり、次に珈琲。紅茶が人気うす、それが私にとってはありがたい。三色、どれが残るか。意外かとおもわれますが、紅茶を飲みながら抹茶が美味しかったり、抹茶には珈琲味と。かぶるとアカンみたいですw個人の意見です、反論はうけつけません(^○^)

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